【2024年11月の診断公表から2025年2月19日の逝去まで】闘病中も諦めなかった目標

目次

皆渡さんの競技人生を語るうえで避けて通れないのが、悪性リンパ腫との闘病です。

2024年11月に病気が判明した後も、皆渡さんは箱根駅伝を目指す気持ちを持ち続けていました。

2025年1月19日、自身のnoteで病気を公表

皆渡星七

2025年1月19日、皆渡さんは自身のnoteに「がんになっても箱根を目指したい」というタイトルの記事を投稿しました。

その中で、前年11月に悪性リンパ腫と診断され、治療を続けていることを明かしています。

さらに、病気を公表した理由として、次の2点を挙げました。

- がんと闘うアスリートに向けて、治療やリハビリの記録を残したい。
- 自分のポジティブ思考や内面的な成長を発信したい。

特に注目したいのは、自分自身の闘病経験を、同じように病気と向き合う人たちのために役立てたいと考えていたことです。

本人は、発信した内容がアスリートにとっての「道しるべ」になればという思いも記していました。

単に病気を報告するだけではなく、自分の経験を誰かの力に変えようとする姿勢が伝わる内容でした。

2025年2月19日、21歳で逝去

闘病を続けていた皆渡さんは、2025年2月19日に21歳で亡くなりました。

青山学院大学陸上競技部は2月21日、公式サイトで「大切な仲間の旅立ちに寄せて」と題した発表を掲載しました。

チームは、皆渡さんが前年度の箱根駅伝や当年度の全日本大学駅伝のエントリーメンバーとして共に戦った仲間であることを伝え、その活躍と情熱に感謝と敬意を表しました。

また、突然の別れに対する悲しみと喪失感を明かし、最後まで病気と闘った皆渡さんを温かく見守ってほしいと呼びかけています。

青山学院大学が2025年3月10日に掲載した優勝祝勝会の報告にも、2月19日に逝去した皆渡選手への黙祷が捧げられたことが記録されています。

大学にとっても、チームにとっても、その存在が大きかったことがうかがえます。

【皆渡星七さんの人物像】陸上競技以外で見せていた素顔

皆渡さんについて知るうえで、特に貴重な資料となるのが、青山学院大学経営学部の服部ゼミが2025年3月12日に公開した追悼記事です。

これは、ニュースの伝聞ではなく、実際に彼を指導していた教員が大学生活を振り返った記録です。

服部ゼミの先生が語った明るい性格

追悼記事を執筆したのは、服部ゼミの担当教員である服部圭介さんです。

記事によると、皆渡さんはゼミの5期生で、いつも明るく、屈託のない笑顔と大きな声が印象的な学生でした。

時には場を和ませるような冗談を口にすることもあり、先生からは「ムードメーカー的な存在」と評されています。

一方で、明るいだけの人物ではありませんでした。

将来の進路や物事への取り組み方について真剣に考え、研究室でも卒業後の進路について話をしていたといいます。

この証言からは、競技に打ち込むアスリートとしての顔と、将来を考える大学生としての顔の両方が見えてきます。

病室からもゼミにオンライン参加

特に印象的なのは、闘病中の大学生活です。

体調を崩して地元に戻り、治療に専念することになった後も、皆渡さんはゼミへの参加を希望しました。

病室からオンラインで授業や研究活動に参加し、グループ研究にも貢献していたと服部教員は記しています。

さらに、2025年1月24日には、病室からオンラインで研究論文について30分弱のプレゼンテーションを行いました。

翌25日の研究報告会にもオンラインで参加しています。

教員から治療に専念するよう伝えられても、本人は体調次第でぜひ参加したいという意向を示していたそうです。

この出来事は、皆渡さんが陸上競技だけでなく、大学での学びにも真剣に取り組んでいたことを示しています。

趣味は料理とレコード集め

本人が2025年1月に公開したnoteの自己紹介では、趣味についても触れています。

- 料理
- レコード集め
- レゲエ
- HIPHOP
- テクノ

料理については特に好きだと紹介し、低温調理器の購入を検討していることも書いていました。

また、治療でつらいときに力をもらっていた音楽として、EXPRESSの「もぐらの唄」を挙げています。

こうした記述からは、陸上競技一色の生活ではなく、音楽や料理など日常の楽しみも大切にしていた一人の青年の姿が伝わります。

原晋監督が伝えたかった皆渡さんの存在

青山学院大学陸上競技部の原晋監督も、訃報を受けて追悼のメッセージを発信しました。

日刊スポーツが2025年2月21日に報じた内容によると、原監督は皆渡さんの明るさ、前向きな姿勢、努力をチームの宝物と表現しています。

「星七の明るい前向きな姿勢と努力はチームの宝物です」

さらに、原監督は、かつてこのような学生がいたことを後世に伝え続けると約束しました。

この言葉は、皆渡さんの競技成績だけではなく、チームの一員として周囲に与えていた影響の大きさを物語っています。

【2026年現在】青山学院大学と豊中市に受け継がれる皆渡星七さんの記憶

2026年現在、皆渡さんはすでに逝去しています。しかし、彼の名前は大学の仲間や地元のランナーたちによって受け継がれています。

特に注目したいのが、2026年の箱根駅伝と、地元豊中市で開催された追悼マラソンです。

第102回箱根駅伝で掲げられた「★7」

2026年1月2日・3日に開催された第102回箱根駅伝。

青山学院大学の選手たちは、亡くなった皆渡さんを思い、たすきや身体に「★7」という印を記して大会に臨みました。

「★7」は、皆渡さんの名前にある「星」と「七」を表現したものです。

青山学院大学はこの大会で総合3連覇、通算9度目の総合優勝を達成しました。

共同通信やスポーツニッポンの報道では、チームメートたちが皆渡さんへの思いを胸に箱根路を走ったことが伝えられています。

同級生の佐藤有一選手は、皆渡さんについて「本当にいい仲間だった」と振り返りました。

また、8区で区間新記録を達成した塩出翔太選手も、星七さんの分まで頑張りたいという思いを語っています。

箱根駅伝という大舞台で、選手たちが亡き仲間の名前を示して走ったことは、2026年の大きな追悼の出来事となりました。

2026年2月21日、豊中市で「ななつぼしマラソン」開催

もう一つの大きな出来事が、2026年2月21日に大阪府豊中市の服部緑地で開催された「ななつぼしマラソン」です。

この大会は、皆渡さんを偲び、彼が陸上競技に注いだ情熱や未来への思いを受け継ぐために企画されました。

主催は、ななつぼしマラソン実行委員会。青山学院大学陸上競技部OBの田中悠登さんが代表を務めています。

開催地となった服部緑地は、皆渡さんが小学生の頃から練習や大会で走ってきた思い出の場所でもあります。

大会では次のような種目・企画が実施されました。

種目・企画 内容
ジュニアレース 3000m
ファンラン 2.5km・5km
大阪マラソン前日刺激ラン 2.5km・5km
汗と涙の77分駅伝 77分間のリレー
トークイベント 競技関係者による企画
ランニング教室 参加者向けの指導

競技経験者だけではなく、幅広いランナーが参加できる構成になっていることも特徴です。

箱根駅伝でともに戦った仲間が中心となり、地元の人々も参加できる大会を開いたことには、大きな意味があります。

皆渡さんが生前に走っていた場所で、今度は多くの人が走る。

その取り組みは、彼の存在を過去の出来事にとどめず、地域の陸上文化につなげる試みでもあります。

【プロの結論】皆渡星七さんの価値は箱根駅伝の出走歴だけでは測れない

皆渡さんの競技人生を振り返ると、箱根駅伝に実際に出走できなかったことだけを取り上げるのは適切ではありません。

評価すべき事実は複数あります。

1. 1500mから30kmまで、幅広い距離で競技記録を残したこと。
2. 5000m13分51秒38、10000m28分49秒30という自己ベストを記録したこと。
3. 箱根駅伝と全日本大学駅伝の登録メンバーに選ばれたこと。
4. 闘病中も大学のゼミに参加し、研究発表を行ったこと。
5. 逝去後も、大学の仲間や地元の人々が追悼の取り組みを続けていること。

大学駅伝の選手を評価するとき、テレビ中継に映る出走選手だけに注目しがちです。

しかし、登録メンバーに選ばれるまでの努力や、チームを支える仲間との関係も、大学駅伝を構成する大切な要素です。

皆渡さんの歩みは、競技者の価値を大会結果だけで判断できないことを示しています。

【皆渡星七さんの現在】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:皆渡星七さんの読み方は?

A1:皆渡星七さんは「みなわたり・せな」と読みます。2004年2月2日生まれ、大阪府豊中市出身の陸上競技選手でした。

Q2:皆渡星七さんの出身高校と大学はどこですか?

A2:関西大学北陽高等学校を卒業後、青山学院大学経営学部経営学科に進学しました。大学では陸上競技部の長距離ブロックに所属していました。

Q3:皆渡星七さんは箱根駅伝に出走しましたか?

A3:第100回箱根駅伝で16人の登録メンバーに入り、7区に登録されましたが、当日の選手変更で出走はありませんでした。2024年11月の全日本大学駅伝でもエントリーメンバーに選ばれています。

Q4:皆渡星七さんの自己ベストは?

A4:5000mが13分51秒38、10000mが28分49秒30、ハーフマラソンが1時間3分30秒です。1500mでは3分48秒59も記録しています。

Q5:皆渡星七さんは現在も存命ですか?

A5:いいえ。2025年2月19日に21歳で逝去しました。2024年11月に悪性リンパ腫と診断されたことを本人が公表しており、治療を続けていました。

Q6:2026年に皆渡星七さんを追悼する活動はありましたか?

A6:2026年1月の第102回箱根駅伝では、青山学院大学の選手たちが「★7」を掲げて走りました。また、同年2月21日には大阪府豊中市の服部緑地で、ななつぼしマラソンが開催されました。

まとめ:皆渡星七さんが残した競技人生と未来への思い

皆渡星七さんは、2004年2月2日に大阪府豊中市で生まれ、関西大学北陽高等学校から青山学院大学経営学部経営学科へ進んだ陸上競技選手です。

中距離から長距離まで幅広い種目に取り組み、5000m13分51秒38、10000m28分49秒30などの記録を残しました。

2024年には箱根駅伝と全日本大学駅伝の登録メンバーに選ばれ、大学駅伝の舞台を目指していました。

しかし、悪性リンパ腫との闘病を経て、2025年2月19日に21歳で逝去しました。

その後、原晋監督や服部ゼミの教員、チームメートたちが、それぞれの立場から皆渡さんの人柄や努力を振り返っています。

2026年には箱根駅伝の「★7」、そして地元豊中市でのななつぼしマラソンという形で、その記憶が受け継がれました。

皆渡星七さんが残したものは、陸上競技の記録だけではありません。

箱根駅伝を目指した情熱、学業にも向き合う姿勢、周囲を明るくする人柄、そして自分の経験を誰かの希望につなげたいという思い。

21年間の人生に刻まれたそれらの足跡は、これからも仲間や地域の人々の記憶の中に残り続けていくでしょう。