【豊臣秀吉の身長が低かった理由は?幼少期の貧困と食生活を考察】
秀吉が小柄だった理由として、しばしば取り上げられるのが、幼少期の貧困と栄養状態です。
秀吉は尾張国の出身で、武家の名門に生まれた人物ではありません。後世の伝記では、若い頃から厳しい生活を送り、身分の低い立場から出世した人物として描かれています。
こうした生い立ちと身体的特徴を結び付ける見方には、どのような根拠があるのでしょうか。
幼少期の栄養状態が身長に影響した可能性

前述の甲冑師・熱田伸道氏は、和樂webのインタビューで、戦国時代の身長と食生活の関係について説明しています。
同氏の見解では、十分に食事を取れる環境にあった人ほど体格が大きくなりやすく、秀吉のように貧しい環境で育った人物は身体も小さかった可能性があるとのことです。
確かに、成長期の栄養状態は成人後の身長に影響します。
特に、幼少期から思春期にかけて十分なエネルギーやタンパク質を摂取できるかどうかは、身体の発育に関係する要素です。
ただし、秀吉個人の幼少期の食事内容や栄養状態を記録した医学資料が残っているわけではありません。
身長は遺伝的要因、栄養、疾病、生活環境など複数の条件によって決まります。したがって、貧困だけを秀吉の低身長の原因とすることはできません。
戦国時代の男性の平均身長は約157cm
秀吉の体格を評価するには、当時の男性の平均身長も知っておく必要があります。
現代の日本人男性と比較すると、140cm台や150cm前後という数字は非常に小さく感じられます。しかし、16世紀の日本人と現代人では、平均的な体格そのものが異なります。
参考になるのが、九州大学の学術論文です。
小宮秀一氏による1997年の論文「日本人の体組成」では、関東地方から出土した成人の人骨について、大腿骨の長さをもとに各時代の平均身長を推定しています。
同論文に掲載された男子の平均推定身長は、次のとおりです。
- 鎌倉時代:約159.00cm
- 室町時代:約156.81cm
- 江戸時代前期:約155.09cm
- 江戸時代後期:約156.49cm
室町時代の男子の平均推定身長は約156.8cmです。
戦国時代は室町時代後期から安土桃山時代にまたがるため、この数字は当時の体格を考える参考になります。ただし、関東地方の限られた人骨標本による推定であり、全国の戦国武士を対象とした統計ではありません。
平均身長と比べると秀吉はどれほど小柄だった?
大阪府立中央図書館が紹介した157cmという平均値を基準にすると、秀吉の推定身長との差は次のようになります。
| 秀吉の推定身長 | 平均157cmとの差 |
|---|---|
| 140cm | 17cm |
| 145cm | 12cm |
| 150cm | 7cm |
| 154cm | 3cm |
この比較から分かるのは、140cm説を採用する場合、秀吉は当時の成人男性と比べても相当に小柄だったということです。
一方、150cm前後と考えれば、平均より低いものの、差は比較的小さくなります。
ここで忘れてはならないのは、157cmという数字も歴史上の全男性を測定した確定値ではないという点です。時代、地域、身分、標本によって平均値は変わります。
したがって、秀吉の身長を評価するときは、現代人との比較だけでなく、当時の日本人の体格を基準にすることが大切です。
【豊臣秀吉と織田信長・徳川家康の身長比較!三英傑の体格の違い】
戦国三英傑と呼ばれる織田信長、豊臣秀吉、徳川家康。
三人は同じ時代を生き、天下統一に関わった人物ですが、伝えられている身長には違いがあります。
ここでは篠田達明『日本史有名人の身体測定』で紹介されている数字を中心に比較します。
織田信長は170cm、徳川家康は159cmという推定
大阪府立中央図書館の同書紹介によると、三英傑の身長は次のように整理されています。
| 人物 | 推定身長 | 秀吉との比較 |
|---|---|---|
| 織田信長 | 170cm | 秀吉より30cm高い |
| 豊臣秀吉 | 140cm | 比較の基準 |
| 徳川家康 | 159cm | 秀吉より19cm高い |
※いずれも同書で紹介された推定値であり、三人の身長を同じ条件で直接測定した結果ではありません。
この数字に従えば、信長と秀吉の身長差は30cm、家康と秀吉の身長差は19cmになります。
ただし、信長の170cmや家康の159cmについても、確定した実測値として扱うことはできません。
豊臣秀吉と織田信長の身長差は出世にも関係した?
信長は秀吉を家臣として取り立て、次第に重要な役割を任せていきました。
秀吉は、出自や身体的特徴だけで評価される人物ではありませんでした。
信長のもとで実績を重ね、政治や軍事の能力を認められ、最終的には天下統一を成し遂げています。
秀吉の身体的な特徴を記録したフロイスの『日本史』には、外見に対する厳しい評価とともに、秀吉の成功について言及した記述もあります。
つまり、当時の人々が秀吉の容姿をどう評価していたかと、秀吉が政治家・軍事指導者としてどれほどの実力を持っていたかは、別の問題だったのです。
豊臣秀吉と徳川家康はどちらが大きかった?
篠田氏の推定では、家康は159cm、秀吉は140cmです。
この数字を比較すると、家康の方が19cm高かったことになります。
甲冑師・熱田伸道氏も、秀吉の甲冑が小さい一方、家康の体格は160cm程度と推測しています。
異なる種類の資料からも、家康の方が秀吉より大柄だったという見方が示されている点は興味深いところです。
【プロの結論】天下人の評価に身長は関係なかった
秀吉の人生を振り返ると、身長の小ささは、天下人としての評価を決める要素にはなりませんでした。
織田信長の家臣として頭角を現し、本能寺の変後には政治的主導権を握り、最終的に全国規模の統一政権を築きました。
秀吉の評価を考えるうえで重要なのは、体格の数字よりも、状況を判断する能力、人材を登用する力、交渉力、そして組織を動かす能力です。
小柄だったという身体的特徴と、歴史上の成功を対立させる必要はありません。
むしろ、外見について厳しい評価を受けながら、当時の政治・軍事の頂点に上り詰めたという点に、秀吉という人物の興味深さがあります。
【2026年最新】豊臣秀吉の身長に関する新資料と研究の現状
2026年11月現在、秀吉に関する歴史資料の公開や研究は続いています。
その一例が、大阪城天守閣による2026年9月29日の発表です。
同館は、天正13年(1585年)9月4日付の「羽柴秀吉朱印状」を新出史料として公表しました。
この文書は蒲生氏郷宛てで、弟の秀長に大和国を与えたことや、秀吉が秀長の領国統治を支援していたことを伝える内容です。
2026年10月10日から11月23日まで開催される特別展「戦国のきょうだい」で初公開されると発表されました。
こうした新出文書は、秀吉の政治活動や人間関係を理解するうえで大きな意味を持ちます。しかし、この朱印状は身長や身体測定に関する資料ではありません。
身長に関しては、これまで紹介したフロイスの記述、姜沆の記録、甲冑、身体推定の研究書が引き続き主要な手掛かりです。
今後、秀吉本人の身体に関する新しい一次史料や、甲冑の詳細な科学的調査が公表されれば、推定の精度が高まる可能性はあります。
現段階では、140cm説や150cm前後という推定を、確定した身長に置き換えるだけの新しい実測資料は確認できません。
【豊臣秀吉の身長】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:豊臣秀吉の身長は何センチだったのですか?
秀吉の正確な身長は分かっていません。篠田達明『日本史有名人の身体測定』では140cmと紹介され、甲冑からは150cm未満という推測もあります。複数の資料から小柄だった可能性は高いものの、確定値はありません。
Q2:豊臣秀吉の140cm説と150cm説では、どちらが正しいですか?
140cm説は篠田氏の著書による身体推定、150cm説は主に甲冑などを手掛かりにした推定です。どちらも実測値ではありません。史料の種類と推定方法が異なるため、単純に優劣を決めることはできません。
Q3:豊臣秀吉は織田信長や徳川家康より身長が低かったのですか?
篠田氏の著書で紹介された推定値では、信長170cm、家康159cm、秀吉140cmです。この比較では秀吉が最も小柄です。ただし、三人とも現代的な意味での確定した実測値ではありません。
まとめ:豊臣秀吉の身長の真相は「小柄だった可能性が高いが実測値は不明」
豊臣秀吉の身長は、2026年11月現在も正確には確定していません。
一方で、身長が低かったという人物像には、複数の根拠があります。
- ルイス・フロイス『日本史』には、秀吉の身長が低いという記述がある。
- 姜沆『看羊録』にも、身体が短小だったという趣旨の記録がある。
- 篠田達明『日本史有名人の身体測定』では140cmと推定されている。
- 仙台市博物館所蔵の甲冑について、甲冑師は150cm未満の体格を推測している。
- 当時の成人男性の平均身長は、おおむね150cm台半ばだったと考えられる。
これらを総合すると、秀吉が当時としても小柄な人物だった可能性は十分にあります。
ただし、140cmという数字だけを確定的な事実として広めるのは適切ではありません。140cm説、150cm前後という推定、それぞれの根拠を区別することが、歴史上の人物を正しく理解するための判断基準です。
天下人となった豊臣秀吉の実像は、身長の数字だけでは語り尽くせません。小柄な身体で巨大な権力を築いたという対比こそ、今も秀吉の人物像が人々の関心を集める理由の一つなのです。