法政二高野球部の2026年成績は?春夏秋の敗退結果と甲子園11回の歴史を徹底解説
2026年の法政二高野球部は、春季神奈川県大会で3回戦、夏の第108回全国高等学校野球選手権神奈川大会で4回戦、秋季神奈川県大会でも3回戦で敗退した。春は慶応、夏は関東学院、秋は桐光学園に敗れ、甲子園出場には届かなかった。一方、秋の地区予選では3試合連続完封勝利を記録しており、チームの基礎的な力を示している。
法政大学第二高等学校の硬式野球部といえば、1960年夏と1961年春の甲子園連覇で知られる神奈川の伝統校だ。春夏通算11回の甲子園出場、2度の全国制覇という輝かしい実績を持つ一方、1988年を最後に甲子園から遠ざかっている。2025年秋には33年ぶりの関東大会出場を果たしており、復活への期待も高まっている。
この記事では、2026年の公式戦結果、桐光学園・関東学院との対戦内容、監督やメンバー、部員数、練習環境、卒業後の進路、そして甲子園で築いた歴史を整理する。
📌 この記事の重要ポイントまとめ
- 2026年の公式戦: 春は3回戦で慶応に3-7、夏は4回戦で関東学院に3-5、秋は3回戦で桐光学園に1-8で敗退。
- 甲子園の歴史: 春2回・夏9回の通算11回出場。1960年夏と1961年春に全国制覇を達成。
- 現在のチーム: 絹田史郎監督が指揮。週6日を基本とした活動と県内外の強豪校との練習試合を重ねている。
【2026年最新】法政二高野球部の春季・夏季・秋季大会の成績を総まとめ

2026年の法政二高は、春・夏・秋の県大会すべてで上位進出を逃した。
ただし、各大会の内容を細かく見ると、単純に3大会連続で力負けしたわけではない。夏は3回戦まで安定した勝ち上がりを見せ、秋も地区予選では圧倒的な結果を残している。
まずは、2026年の主要大会を振り返りたい。
春季神奈川県大会:慶応に3-7で敗れ3回戦敗退
2026年4月の春季神奈川県大会では、2回戦から登場した。
- 4月5日・2回戦:神奈川大付に6-0で勝利
- 4月11日・3回戦:慶応に3-7で敗戦
初戦では神奈川大付を無失点に抑え、6得点を挙げる快勝だった。
しかし、3回戦の慶応戦では7失点。法政二も3点を返したものの、逆転には至らなかった。
この試合は4月11日に行われ、神奈川の強豪同士による対戦として報じられている。
春の時点では、県上位校との競争を勝ち抜くための課題が残った。
夏の第108回全国高校野球選手権神奈川大会:関東学院に3-5
夏の選手権神奈川大会では、春からの巻き返しが期待された。
法政二は1回戦から3回戦まで3連勝を記録している。
- 7月8日・1回戦:森村学園に7-0
- 7月11日・2回戦:鶴見に12-1
- 7月14日・3回戦:星槎国際湘南に6-1
- 7月16日・4回戦:関東学院に3-5
3試合で合計25得点を挙げ、失点はわずか2。攻守ともに安定した試合運びを見せた。
ところが、4回戦の関東学院戦では序盤に苦しい展開となる。
7月16日の試合は俣野公園・横浜薬大スタジアムで開催された。
関東学院が初回に5点を先制。法政二は2回に3点を返し、2点差まで追い上げたが、その後は得点できなかった。
最終スコアは3-5。法政二は7安打を放ったものの、関東学院の11安打を上回ることはできず、守備面でも2失策を記録した。
3回戦までの戦いぶりを考えると、4回戦での敗退は惜しまれる結果だった。
秋季神奈川県大会:桐光学園に1-8で敗退
秋季大会は、新チームの実力を測る重要な大会だ。
法政二は8月の川崎・横浜北地区予選で好調なスタートを切った。
- 8月15日:浅野に14-0
- 8月16日:横浜翠嵐に7-0
- 8月18日:大師・鶴見総合に10-0
3試合連続完封という結果で地区予選を突破した。
県大会でも9月8日の2回戦で金沢に10-2と勝利。秋季大会の連勝を4に伸ばした。
しかし、9月12日の3回戦で桐光学園と対戦し、1-8の7回コールドで敗れた。
この試合では2年生の依田蒼大が適時打を放ち、法政二に得点をもたらした。一方、桐光学園は序盤から得点を重ね、5回には4点を追加。法政二の反撃を1点に抑えた。
試合の先発投手は法政二が大塚智就、桐光学園が平泉陸。桐光学園はその後、柏原晴、伊藤佑樹とつなぐ継投で逃げ切った。
2026年の大会成績一覧
| 大会・日付 | 回戦 | 対戦相手 | 結果 |
|---|---|---|---|
| 春季・4月5日 | 2回戦 | 神奈川大付 | 6-0 ○ |
| 春季・4月11日 | 3回戦 | 慶応 | 3-7 ● |
| 夏季・7月8日 | 1回戦 | 森村学園 | 7-0 ○ |
| 夏季・7月11日 | 2回戦 | 鶴見 | 12-1 ○ |
| 夏季・7月14日 | 3回戦 | 星槎国際湘南 | 6-1 ○ |
| 夏季・7月16日 | 4回戦 | 関東学院 | 3-5 ● |
| 秋季・9月8日 | 2回戦 | 金沢 | 10-2 ○ |
| 秋季・9月12日 | 3回戦 | 桐光学園 | 1-8 ● |
県大会の成績だけを見ると、春1勝1敗、夏3勝1敗、秋1勝1敗。さらに秋の地区予選3勝を加えると、確認できる2026年の公式戦は8勝3敗となる。
3大会とも県大会3回戦または4回戦で敗退したものの、初戦から力を発揮できる試合も多かった。
【現在の実力】法政二高野球部は強い?2026年の試合から見える課題
法政二高野球部の現在の実力を評価する際、甲子園優勝という過去の実績だけを基準にするのは適切ではない。
現在のチームを見るには、対戦相手のレベル、得点力、投手陣の安定性、そして大会を通じた戦い方を確認する必要がある。
強みは初戦から発揮できる攻撃力と投手力
2026年夏の大会では、森村学園、鶴見、星槎国際湘南を相手に3連勝した。
特に鶴見戦では12得点、森村学園戦では7得点を記録。春の大会でも神奈川大付を6-0で下しており、相手に主導権を渡さない試合を展開できる力は持っている。
秋の地区予選でも3試合連続完封を記録した。
この結果からは、投手陣を中心とした守備の安定感と、相手の隙を得点につなげる攻撃力が強みとして見えてくる。
関東学院戦で露呈した序盤の失点
2026年夏の関東学院戦は、現在のチームを分析するうえで重要な試合だ。
最大のポイントは初回の5失点だった。
2回には3点を返して試合を立て直したが、そこから追加点を奪えなかった。
序盤の失点を挽回しようとする反発力は見せたものの、終盤に相手を追い詰めるだけの攻撃力を発揮できなかった。
一方、関東学院は7月18日の5回戦で桐光学園に0-4で敗れている。神奈川県の上位校との実力差を測るうえでも興味深い結果だ。
桐光学園戦は新チームの課題を浮き彫りにした
秋季大会の桐光学園戦では、1-8の7回コールド負けとなった。
桐光学園は2026年夏の神奈川大会準優勝校。新チームになっても実力のある選手がそろっており、法政二にとって厳しい対戦相手だった。
法政二は3回に1点を返したが、相手の打線を十分に抑えられず、5回には4失点を喫した。
この結果は、地区予選で圧倒的な成績を残したチームであっても、県大会上位を狙う学校との対戦では別の対応力が必要になることを示している。
2025年秋の躍進から2026年の課題へ
見逃せないのが、2025年秋の法政二の実績だ。
2025年の秋季神奈川県大会では準優勝を果たし、33年ぶりの関東大会出場を実現した。
関東大会では花咲徳栄に9-10で惜敗したものの、県内の強豪校を相手に決勝まで勝ち上がったことは大きな成果だった。
その翌年、2026年は新チームで春夏秋の県大会を戦ったが、県大会3回戦・4回戦の壁を越えられなかった。
つまり、法政二は2025年に県内上位の実力を証明した一方、2026年はその水準を継続する難しさに直面したと考えられる。
現時点では、県大会上位進出を狙える力を持ちながら、強豪校との対戦で試合を決め切る力に課題を残すチームという評価が妥当だろう。
【監督・メンバー・部員数】法政二高野球部を支える指導体制と選手たち
法政二高野球部の伝統を語るうえで、監督の存在と選手育成の仕組みは欠かせない。
監督はOBでもある絹田史郎氏
法政二高OB・元甲子園出場選手
1982年夏の甲子園では右翼手として出場。2010年に硬式野球部の監督に就任し、母校の指導に携わってきた。
絹田監督自身が法政二高の野球部出身であり、選手として甲子園を経験していることは大きな特徴だ。
2016年のタウンニュースの取材では、監督として古豪復活を目指す姿勢が紹介された。
また、2025年秋の月刊高校野球CHARGE!の指揮官インタビューでは、選手の個性を引き出し、選手自身が考えて行動できるチームづくりを重視していることが伝えられている。
2025年の関東大会出場は、監督自身の母校での経験と、長年の指導が結びついた成果の一つといえる。
2026年のメンバーにはどんな選手がいる?
法政二高野球部のメンバーを知りたい場合、公式戦の登録選手やスターティングメンバーを確認するのが参考になる。
2026年7月16日の関東学院戦では、次の選手たちがスターティングメンバーに名を連ねた。
- 上田真幸
- 平松迅
- 柴田修伍
- 榑松正悟
- 神澤奏太
- 大江俊太朗
- 一色煌大
- 江澤啓汰
- 松尾一平
- 大塚智就
投手は大塚智就、捕手は江澤啓汰が務めた。
また、秋の桐光学園戦では大塚智就が先発し、依田蒼大が適時打を放っている。
これらは各試合の登録・先発メンバーであり、部員全員の一覧ではない。年度途中でメンバーが変わることもあるため、特定の選手の在籍状況や背番号を調べる場合は、大会ごとの登録情報を確認したい。
部員数は何人?最新の公表資料では65人
法政二高野球部の部員数については、年度を区別する必要がある。
学校公式の部活動紹介では、2022年度の部員数を62名と紹介している。
一方、2026年版の学校案内に掲載された部活動人数資料では、2024年度3学期段階の高校硬式野球部の人数は65名となっている。
したがって、確認できる比較的新しい公表値は65名(2024年度3学期段階)だ。これを2026年11月現在の確定人数と同一視することはできない。
練習内容は週6日が基本
学校公式の硬式野球部紹介によると、例年の活動は週6日を基本としている。
特徴的なのは、通常の練習に加えて夏・冬の年2回の合宿を実施していることだ。
合宿では基礎的なチームづくりに取り組み、県内外の強豪校との練習試合も行っている。
また、学校の活動報告では、紅白戦やオープン戦などの実戦形式の練習を取り入れていることも紹介されている。
単純な個人技術の向上だけでなく、試合の状況を想定した判断力やチームとしての連携を磨く環境が整えられている。
卒業後の進路は法政大学への内部進学が中心
法政二高は法政大学の付属校であり、卒業後の進路においても大学とのつながりが強い。
ただし、野球部員だから自動的に法政大学へ進学できるわけではない。
学校公式の進路説明では、日常の成績や指定された英語外部試験、基礎的思考力確認テストなど、所定の条件を満たすことで内部推薦による進学が可能とされている。
学校全体では、例年約90%の生徒が法政大学へ進学するという説明もある。2025年度の進学実績では、法政大学の各学部への進学者数が公表されている。
野球部出身者の代表例としては、次の人物が挙げられる。
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卒業後に法政大学へ進み、さらにプロ野球や社会人野球を目指す道も、伝統校ならではの進路の一つだ。
【甲子園通算11回】法政二高野球部の歴代成績と1960・1961年の偉業
法政二高野球部が名門と呼ばれる最大の理由は、昭和期に築いた圧倒的な甲子園実績にある。
1952年に甲子園初出場
法政二高の硬式野球部の歴史は、1939年の旧制法政二中の設立時期にさかのぼる。
そして1952年、初めて甲子園大会への出場を果たした。
その後、1957年から1961年まで夏の神奈川県大会で5年連続優勝を達成。1957年夏には甲子園準優勝という実績も残している。
当時の神奈川県は強豪校が集まる激戦区であり、連続して県大会を制したこと自体が大きな価値を持つ。
1960年夏・1961年春に甲子園連覇
法政二高野球部の歴史を象徴するのが、1960年夏と1961年春の全国制覇だ。
1960年夏の全国高等学校野球選手権大会で優勝。
さらに翌1961年春の選抜高等学校野球大会でも優勝し、夏・春の連続優勝を達成した。
この時代の中心選手として知られるのが、後に巨人で活躍する柴田勲だ。
当時の法政二高は、田丸仁監督のもとで近代的な野球を取り入れていた。
学校公式の部活動紹介では、野球理論書『ドジャースの戦法』を基礎にした指導が、全国制覇を支えた要素として紹介されている。
ここで注意したいのは、優勝したのが1960年の夏と1961年の春という点だ。
1960年の春・夏を連覇したわけではない。2つの大会をまたいだ連続優勝である。
その後の甲子園出場と1988年の最後の出場
1961年春の優勝後も、法政二高は甲子園出場を重ねた。
特に1982年夏、1984年春、1988年夏の出場は、歴史を振り返るうえで重要な節目となる。
1982年夏のチームには、後に監督となる絹田史郎氏が所属していた。
この大会では3回戦まで進出。絹田氏自身も甲子園の舞台を経験している。
1988年夏の出場を最後に、2026年現在まで甲子園出場は実現していない。
甲子園通算成績は春2回・夏9回
法政二高の甲子園出場実績は次のとおりだ。
| 項目 | 成績 |
|---|---|
| 春の選抜出場 | 2回 |
| 夏の選手権出場 | 9回 |
| 春夏通算出場 | 11回 |
| 春の甲子園優勝 | 1回 |
| 夏の甲子園優勝 | 1回 |
| 全国制覇 | 2回 |
| 甲子園通算勝利 | 19勝 |
| 甲子園通算敗戦 | 9敗 |
| 最後の出場 | 1988年夏 |
春夏合わせて19勝9敗、勝率は約.679。
全国制覇2回という記録は、単に甲子園に出場しただけではなく、全国の頂点に立った経験が2度あることを意味する。
この実績こそ、現在も法政二高が神奈川の伝統校として認識される理由だ。
【2025年から2026年へ】法政二高野球部の復活と今後の展望
法政二高の現在を考えるうえでは、2025年秋の躍進を外すことはできない。
2026年の3大会だけを見ると、県大会の上位進出には届いていない。しかし、2025年秋には大きな成果を残していた。
33年ぶりの関東大会出場が示した可能性
2025年秋の神奈川県大会で法政二は準優勝。
その結果、33年ぶりに関東大会へ出場した。
関東大会の初戦では花咲徳栄と対戦し、9-10で惜敗。あと一歩で勝利を逃したが、県内の強豪校を次々に破って決勝まで進んだ事実は評価できる。
甲子園から長く遠ざかっていた学校にとって、関東大会への復帰は大きな転換点だった。
2026年の結果から考える再浮上への条件
2026年の結果を踏まえると、今後の課題は大きく3つに整理できる。
1つ目は投手陣の試合序盤の安定。
関東学院戦では初回に5失点、桐光学園戦でも序盤から複数の失点を重ねた。強豪校との試合で先手を取られない投球が求められる。
2つ目は得点力の持続。
夏の関東学院戦では3点を返した後に追加点を挙げられなかった。強豪校との接戦を勝ち抜くには、終盤まで攻撃の選択肢を維持する必要がある。
3つ目は新チームへの戦力継承。
2025年秋に関東大会へ進んだチームの経験を、翌年以降の世代にどうつなげるかが重要になる。
法政二には、長い歴史のなかで培われた指導環境と、法政大学とのつながりがある。これらを生かしながら、県内上位校との競争力を高められるかが注目点となる。
【法政二高野球部】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:法政二高野球部の2026年最新成績は?
A1:春季神奈川県大会は3回戦で慶応に3-7、夏の第108回選手権神奈川大会は4回戦で関東学院に3-5、秋季神奈川県大会は3回戦で桐光学園に1-8で敗れた。
Q2:法政二高野球部は甲子園に何回出場している?
A2:春の選抜大会に2回、夏の選手権大会に9回、合計11回出場している。1960年夏と1961年春には連続優勝を達成した。
Q3:法政二高野球部の現在の監督は誰?
A3:2025年秋の指揮官インタビューで確認できる監督は絹田史郎氏。法政二高OBで、1982年夏の甲子園に選手として出場した経験を持つ。
Q4:法政二高野球部の部員数は何人?
A4:学校公式の2026年版案内に掲載された2024年度3学期段階の参考人数は65名。2026年11月現在の実数は別途確認が必要となる。
Q5:法政二高野球部の練習は週何日?
A5:学校公式の部活動紹介では、例年週6日を基本としている。夏・冬の合宿や県内外の強豪校との練習試合も実施している。
Q6:法政二高野球部の卒業後の進路は?
A6:法政大学への内部推薦進学が主な選択肢となる。ただし、一定の学業成績や英語試験などの条件を満たす必要がある。野球部員個人の進学先は、それぞれ異なる。
Q7:法政二高は甲子園に最後にいつ出場した?
A7:1988年夏の第70回全国高等学校野球選手権大会が最後の出場。2026年現在、春夏ともに再出場は実現していない。
まとめ:法政二高野球部は伝統を受け継ぎ、再び甲子園を目指す
法政二高野球部は、1960年夏・1961年春の甲子園連覇をはじめ、春夏通算11回の甲子園出場を誇る神奈川の名門校だ。
2026年は春季大会3回戦、夏季大会4回戦、秋季大会3回戦で敗退し、甲子園への道は開けなかった。
一方、2025年秋には33年ぶりの関東大会出場を果たしており、現在のチームにも県内上位を狙える力があることを証明している。
2026年の関東学院戦や桐光学園戦で見えた課題は、序盤の失点を抑える投手力と、強豪校相手に最後まで得点を重ねる攻撃力だ。
絹田史郎監督のもとで積み重ねてきた指導と、週6日の活動、合宿や練習試合を通じた育成環境は、次の世代にとっても重要な土台となる。
甲子園11回出場、全国制覇2回という歴史は、過去の栄光であると同時に、次の世代が目指す目標でもある。
2025年の関東大会復帰を一過性の成果に終わらせず、2026年に見つかった課題を克服できるか。法政二高野球部の今後は、神奈川県高校野球の勢力図を考えるうえでも注目したい。